「わたしはツクリテ。FF8のシュミ族の村というところに住んでおった。ここの民族は見た目地底人みたいだが、心はみな正直で自分の好きなものを一生つくりつづけるやつらじゃ。
わたしは人間界に出たときに『ツクリテ』という人種に出会い、彼らの職人魂に感銘を受けた。それ以来自分も『ツクリテ』と名乗ることにしている。
さて、そちらの世界の『ツクリテ』はいろいろと悩みが尽きないようじゃな。人間という種族の特徴なのだろう。社会とかシステムとかいろいろ制約がって、ツクリテのくせにぜんぜんいいものがつくれなかったりするそうな。
われわれには人間特有の、あるいは人間社会に特有の原因で「ものがつくれない状態」になることはないわけだが、それでもやはり不調の時はある。そのとき、何が原因でそうなっているか、その解決策は何か、特別に少しだけ教えてやろう。そちらの世界のツクリテには世話になったので。
モノがつくれないときの原因、それはたとえば・・・
「恐怖」
などかね。
ツクリテの恐怖というのはデリケートな感情で、なかなか理解されなかったりするのじゃ。
つくりはじめの何もないうちはいいんだが、少し経験を積んでいくと、すごい作品をつくってやろうとか、これだけ時間をかけたのに反応が悪かったらどうしようとか、期待に応えられなかったらどうしようとか、あの時はうまくいったけど今度はうまくいくかどうかとか、過去の失敗や成功にとらわれたりとか、いろいろな想念に縛られて、つくること自体が恐怖になってしまうのじゃ。
で、作品つくりのブレーキになっているこの恐怖の原因をいろいろ調べてみると、だいたい次のようなことが思い当たる。たとえば・・・
「複雑なものをつくろうとする」
すごい作品を作ろうと力みすぎて、シンプルさを忘れるとこうなる。するとどうなるか。「あれもだめ、これもだめ、これはあれに似ている、これはあいつもやってた」などなど、ドラフトの段階で早急に批評&ジャッジをしまくり、わかりやすさや明瞭さを回避し、「名作」を狙おうとして、テクニックやノウハウを無駄につぎこんだわけのわからないものになっていくのじゃ。結果、ツクリテは目の前に自らつくりあげた「迷作」と向き合い絶望する。なんだこれは!ク××じゃないか!
複雑さというのは、シンプルなものを積み重ねた結果できるものじゃ。最初から狙ってうまくいくことは少ない。だから、複雑さは狙わず、いつでもシンプルになるように心がけるようにするのがよいのじゃ。
「失敗を恐れる」
これもある程度経験を積むとしょっちゅう起きる。変なプライドがじゃまして、失敗しないようにするあまり、ものがつくれなくなるのじゃ。
やったことがないことを避けたり、新しい挑戦を避けたりして、結局言い訳ばかり。何もつくれてない。失敗はしないが、前進もない。そんな状態が続く日々が、誰にもあるものじゃ。
失敗を避けることは、自分を「天才」という堅牢な盾で守ることになる。能力以上の挑戦をせず、期待どおり予定調和の結果だけ出していればいい。失敗さえしなければすべて成功=天才・秀才・エリート。減点方式の待ち伏せ作戦。まるでどっかの国の官僚システムのようじゃな。結局は何もしてない、消費するだけの「天才」は、こうして何もつくれないただのシュミ族になっていく。
ひとこと教えてやろう。音楽の天才、絵の天才、物語の天才、釣りの天才、ストリートファイターの天才・・・どんな天才も、本当の天才たちは、天才になる前に、だれもみな共通して、別の「あること」の天才だったのじゃ。
何かって?「失敗」の天才だったのさ。
失敗し続けても、失敗と思わずにやり続け、いつのまにかその分野で天才になっていた。
失敗を避け続けることが、本当の「失敗」なんだよ。やるべきことはわかったね。
「そーしゃるめでぃあ」
これは最近の病弊じゃな。むかしはこんなことはなかったが、いまは誰が何をしたかどこへいったか、投稿のリアクションはあるかどうかメッセージがきてないかコメントされてないか、気になってたまらん。
制作中も、ちょっと行き詰ったり空き時間ができたりするだけで、ついついFacebookに飛んタップタップ。気が付くと5分たち、10分たち、さらにメッセージがきたりしてチャットがはじまると、あっというまに60分じゃ!
これが毎日のように続いてみろ。クリエイティブな習慣はぶちこわし、ネット空間でたわむれるだけで意味不明な達成感を得たり、気の利いた投稿に寄せられるインスタントリアクションにドーパミン使って満足。肝心の仕事の方は、まったく進んでいない!
作るときはいさぎよく切れ。以上。
「ツール不足?」
「さあ、わたしにはすばらしいアイデアがある。Mac Book ProとiPadとAdobe Creative Suite と豊富な資金さえあれば、この素晴らしいアイデアを形にすることができるだろう・・・」
そう思い続けて100年たち、たいしてよいものをつくらぬままオレンジ色の犬になったシュミ族を何度もみてきた。
ああ、あのすばらしく高性能なパソコンさえあれば、こんな素晴らしいことができるのにな!
ああ、みんなが使っているあのすばらしいソフトウェアさえあれば、どれだけクオリティの高いものができるだろう!
・・・
そんなことを言う前に手を動かしたらどうかね。そうやっていろいろ新しいものを買ってきたろう。で、1ヶ月あまりかわいがったと思いきや、「ああ、これはやはり違ったのだ!」などと嘆き、また新しいセール情報をブラウズし、Youtubeでセールス動画に興奮する毎日・・・
やめたまえ!マーケッティングに乗せられたツクリテほど哀れなものはない。きみの「まだ見ぬ傑作」はいつ完成するというのだ?
われわれはいつだって、いま手の中にある資源でやってきたはずだ。解決策は外部のツールが与えてくれるのではない。いつだってわれわれの工夫しだいで、頼りなかった道具が魔法に変化する。
ヘアバンドをエレキベースのネックに通して弾いてみるがよい。少し歪みエフェクトをかますだけで、びっくりするほどエキサイティングなハーモニックディストーションサウンドが得られるだろう。
ツクリテは決して種々の道具を使いこなして人々を驚かす奇術師ではない。みずからの思考とシンプルなアイデア、そして少しの資源で、だれも気付かなかったような世界の新しい姿を見せるものだ。
あのツールがあれば・・・という思考は幻想にすぎない。ためしにあるものでやってみろ。それじゃできないというならやめるがよい。いつだってやめることができるよ。きさまのツクリテライフはそこでおわり、かわいいオレンジ色の犬になるだけさ。
・・・と、まだありそうな気もするけど、今回はこれぐらいにしとくかな。思い当たることはあったかい?なら、これを機会に見直してみよう。
え?人間と似たようなもんじゃないかって?そうかい。わたしはほかのシュミ族よりちょっとだけ人間とは深い付き合いがあるので、少し似てしまったかもしれんの。
じつはわたしはもうシュミ族をやめているのじゃ。シュミ族はある程度生きると、時間切れというか寿命というか、「変身」して別の生物に変化するという、奇妙な運命があるのじゃ。たいていはオレンジ色の犬みたいなヤツになったりするんじゃが、わたしはそうはならなかった。それじゃあこうしてあなたに話しかけることはできないからね。じゃあ何に「変身」したかって?わたしは今も変わらず『ツクリテ』だよ。ただ、肌の色が前より少し白くて、身体もちいさくなったがね。」