音楽表現のはじめの一歩(まじめな話)では、漠然と「音楽をつくりたい」「作曲をしたい」「音楽をやりたいな」と思っている人が、自分の作品をつくって発表するためには、次のようなプロセスが必要になってくるだろうと書きました。
1.作曲する(コード、メロディを書く)
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2.DTMソフトを使い、録音、打ち込み、アレンジをする
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3.ミキシングする
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4.マスタリング、音質チェックをする
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5.曲を人に聴かせる(ネット配信、ライヴなど)
音楽作品を発表している人たちは、このような作業をPCでこなすことに慣れています。
それは、スクールで方法論を学んでできるようになったのかもしれないし、自力で情報を集めてできるようになったのかもしれません。どちらにせよ、良い作品を作って発表したいな、という思いが強いほど、これらの作業を詳細に研究することになり、うまいへたは別として、楽曲制作全体の大きなイメージを頭の中に描くことができます。
しかしこれは、あくまで「まじめな話」です。優等生のやり方です。
几帳面にPCワークをこなすのが好きで、音楽制作を学ぶのに時間をかけることのできる人が、少しずつやり方を覚えて、ついに発表する。それまでの過程を純粋に楽しめて、発表を急ぐ必要のない方に適した方法です。
とくに音楽は時間をかけて学ぶ部分が多いのですが、地道な修練を楽しめる人ならば、評価うんぬんにかかわらず、こういったやり方で音楽による表現活動を続けることができるのではないかと思います。自分の世界観を成熟させて、よりよい作品を聴かせたいという思いが、リスナーの視点に立ったクオリティの高い作品を生みでしょう。
主体的な創造の喜びとして、これはとても素晴らしいことです。
しかし、音楽にはもっと強烈な、言葉を超えた側面があります。それは、内側からあふれ出る情熱や興奮を伝える媒介となることです。
表現者の中にそのような熱いエネルギーが生まれ、それをどういうわけか音楽で表したいと思った瞬間は、上記のようなまどろっこしいプロセスなどやってられません。時間がかかりすぎます。
そういう人のことを横着とかせっかちというのは簡単です。聴かせる人のことを考えてない、などとジャッジする裁判官もたくさんいるでしょう。
しかし、音楽作品をつくって発表するためには、コード理論をマスターし、DAWの操作方法を覚え、丹念に打ち込みをし、アレンジを覚え、ミキシングを覚え、マスタリングを覚え、音質チェックをし・・・という条件をすべてクリアしなければいけなのだ、という法はありません。
そのような作業に気を取られているうちに、初期衝動が薄れ、「音楽つくるって退屈でつまらぬことでしたわ」などという事態になっては残念です。
ここでいう「まじめでない話」とは、そういうやむにやまれぬ創作衝動に憑かれてしまった状態の人が、「まじめなやり方」を無視して、即効で音楽表現をアウトプットするケースについて考えることです。前回の最後に書いた「デモ音源のみをゲリラ的に発表していく場合」に近いやり方です。
そういう場合はどうするか。
ひとつは、PCワークをほとんど行わなければいい。ただ録音してアップするだけ、音楽アプリを使って作ったのをシェアするだけ、スタジオライヴを撮影するだけ、などです。
誰でもできますし、有名な人もやっている方法です。というかこれが普通のやり方ですね。いちいちDAWまで導入して曲作りなど始めようとする人の方が少ないのです。
ですがやはりDAWを使った方が幅が広がります。使うならば次のような例があります。
筆者は8月の頭ごろから、一日に一曲、詩とともにアップするということをやりました。
早朝、日が昇る前に起きて、数時間のうちに一曲つくってアップし、さらに曲をイメージした詩を付加する、というような、およそ脳の暴走としか言いようがないつくりごとに没頭しました。
純粋に創作衝動に身を任せて勢いのまま曲をつくり、作曲への初期衝動を思い出すための試みです。
これにあえて機能的な目的があったと言うならば、「数時間以内に一曲完成させねばならない状況」というのも生きていれば発生するから、そういう場合にそなえたトレーニングだ、ということです。
次の曲はそういう時につくりました。
日付は 8.4 2014 と8.5 2014です。このように、毎日一曲アップしていたので、日付を必ずつけています。
この2曲はわりといいリアクションがありました。2,3時間でつくった曲で、音圧も軽いのですが。
どうしようもない曲しかできないときもありますが、このように良い反応を生むものもあります。
というか、時間をかけて練ってつくった曲よりも、こういう感覚的なやり方でつくった曲の方が反応が、じっさい好かれることが多かったりします。曲がどう思われるかということと、つくるのにかけた時間は関係ないのです。
これは、上記の1-5のプロセスのどれもきちんと経てはいません。頭の中にいきなり曲のイメージをつくって、トランス状態になったのち、手を動かしていくうちに勝手にPC画面に曲が書き出されている状態です。まるで自動書記です。
コードも書かずに、サウンドデザインもちゃんとやらず、限られた音源だけで打ち込みをサッとやって、ミキシングも最低限で、全体として曲と呼べるようになったら、いきなり「Share」コマンドを使ってSoundCloudにアップしてしまいます。で、詩をつけて終わり。これは署名みたいなもので、曲と一緒に湧き上がるイメージを残すのものです。
きちんとネットにアップする、というのがけっこう大事です。人がいる場所に流すという意識が、エネルギーを生むのです。
これが、「まじめでない」音楽表現のケースです。理論も使ってないし、きちんとしたプロセスも経ていない。イレギュラーに、直観のまま、衝動のまま内面のイメージを解き放つだけ。
だから、具体的なノウハウもあるわけではないし(理論、ソフトに慣れていば多少有利とはいえ)、こうやるとうまくできるよと教えてやることでもない。
このように、「まじめでない」やり方ならば、音楽表現をすることは誰でも気軽にできることです。
で、何がいいたいのかというと、最初に「音楽をつくりたい」と思っている人は、まずこのように、初期衝動のまま、エネルギーあふれる曲を作り続けるのでいいのではないか、ということです。
「とにかく音楽をつくりたい!」と思っている人に、学校教育ばりに「じゃあ楽典から勉強しましょうね」「ダイアトニックコードの仕組みをね・・・」などといきなり言っても興ざめでしょう。そんなので音楽が嫌いになったら本末転倒です。「とにかくギター弾きたい!」という子に、「じゃあメジャースケールからやってくよ」などと言ったら、その子は逃げ出すに決まっています。
そういうのは、後でやればいい。必要になったらいくらでも自分から情報をとりにいきます。今は、とにかく「つくりたい」という気持ちを爆発させることの方が大事。わかんないことだらけでいいから、とにかくつくって、人に見せてみる。
すでに制作に慣れてしまった人ならば、一日一曲つくるという取組みは、このような初期衝動の気持ちを思い出すのに、とてもいいので、たまにやるといいでしょう。
表現の初期衝動というのは計り知れないエネルギーがあります。
とにかく頭の中の音楽を再現したいという一心で、ソフトの使い方も理論もわからないけど、自分なりに形にしてつくってみる。
それも限られた時間内に、衝動が強いうちにやりきってすぐに出す。
たまにリアクションがくる。
生きていることを実感する・・・という流れ。
このような表現への差し迫ったニーズによる作曲というものは、「うまい作品」を残すことはできないかもしれませんが、結果として、ソフトの新しい使い方を覚えたり、好きなサウンドを見つけたり、聴いた人と新たな関係ができたりなど、多くの副産物を生みます。
音楽制作は、ある程度慣れてくると、やることも全体像がパッとわかり、作業がルーティン化しがちですが、ときおりこのような、初期衝動を思い出すような活動をすると、脳に刺激を与えることができます。
「まじめでない」やり方は教えるものではありませんが、これからこの方法で音楽表現の第一歩を踏み出したいと思う人の参考になるかもしれないので、あえて物理的タスクを少しまとめると、だいたい次のようなことをしています。
1.DAWを立ち上げ、タイマーをセットする。
2.音源ライブラリの中から、直感的に使う音源を選ぶ。種類は少なく、一度決めたら変えない。
3.打ち込み開始。オーディオループやサンプルなどもどんどん投げ込む。
4.イメージに近い形ができてきたら、素材を整理していく。
5.「曲になった!」と思えたところで打ち込み終わり。軽くミックスをする。
6.時間切れまで打ち込み、ミックスの見直しをする。
7.時間がきたら「Share」コマンドでSoundCloundにアップロード。
(8.詩を書く。)
8は筆者が好みでやっていることなので除外して、だいたいこの1-7の流れのような作業の思考錯誤で、いつの間にか曲はできています。脳の中に強烈なイメージと、それを表すためのエネルギーが湧き上がってくれば、自然と曲は具現化されてきます。
イレギュラーな方法ではありますが、どうしてもいますぐ音楽を作りたい!という気持ちが強い方は、こういうやり方でどんどんつくってしまうのがいいと思います。そのうち落ち着いてきたら、「もっといい曲を書くにはどうしたらいいのだろう」という問いがおのずから生まれてきますので、その時に詳しい方法論などを見つけにいけばよいでしょう。もちろん、ずっとこのやり方だけで音楽表現を続けていったっていい。音楽は自由なのです。
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