音楽表現のはじめの一歩(まじめな話)


音楽表現のはじめの一歩(まじめな話)diceworks

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よく、「音楽ってどうやってつくるんですか」と質問を受けることがあります。

このような方は、とりあえず評価とか出世とは関係なしに、純粋な楽しみや表現欲求として、自分も「音楽をつくってみたい」と強く思っていることが多いです。

わたしはそのような方々と知恵を共有しあうことが好きです。しかし、ある程度やり方が身についてくると、そのような人々の立場の視点を忘れてしまい、つい専門的な言葉を用いてしまって、何かと「難しそう、大変そう」と思われてしまうようです。

そこで、なるべく平易に、今を生きる人が純粋な気持ちで「音楽を作りたい」と思ったとき、とくに「作曲」という漠然とした行為に挑戦してみたいと思ったときに、どんなプロセスが考えられるのか、まとめてみようと思います。

この現代において、個人が「音楽をつくる」という行為は、個人が「文章作品をつくる」「写真作品をつくる」という文化よりは浸透していないように思います。

たしかに、テクノロジーの発達のおかげで、音楽制作ツールが一般大衆に広まり、音楽が解放された時代です。そう言われて久しいです。

しかし、個人が運用可能なレベルまで落とし込まれた、具体的な知識や技術についてはまだまだ自由にアクセスが可能な状態ではないように思います。

そもそも、こういう文脈で「誰もが音楽をつくれる」という場合、大抵はPCとテクノロジーを用いることが想定されているわけですが、そういったデジタルサウンドプロダクション自体の歴史が浅いので、体系的な理論というものがいまだに存在せず、先人たちの業績や方法論に頼って、断片的に知識を積み重ねていくしかないのが、現在の状況です。
そのため、現場に密着して専門のエンジニアの技を盗むか、かなりのお金を払ってスクールで学ぶかせねば身につかないのでは、という壁があります。それが、「音楽作品をつくる」ことのハードルがいまだに少し高いことの原因ではないかと思います(ほかの表現分野はハードルが低い、と言っているわけではありません。念のため)。

しかし、ある人が純粋な表現欲求として「音楽をつくりたい」と思ったとき、あるいは逆に、自己表現の手段として音楽という手段を選んだとき、具体的にどのようなプロセスを経れば、「自分の音楽ができた」と体感することができるか、という問題は、昔も今も常に発生しています。

これを解決するのは、現代は「やり方」自体は昔よりも相当たくさん見つかりはするものの、やりきるのは意外と容易でありません。

というのも、比較的複雑な要素が絡んでくるのが音楽制作なのです。

「音楽をつくりたい」という問題を考えるとき、たとえば次のようなケースが考えられます。

「どうすればわたしの音楽表現の欲求は満たされるのだろうか?」

・楽器演奏

・歌

・作曲

・ライヴ活動

・DJ

・ステージパフォーマンス、エンターテインメント(ダンス、アイドル)

どれや?

人によって興味は様々ですが、ここでは漠然と「作曲」してみたいなと思っている人のケースについて考えてみたいと思います。

「作曲」とは、かんたんに言えば「コードとメロディを書く」という営みです。ですので、コード理論が少しわかって、メロディをのせてしまえばそれでできます。いや、コードさえわからなくとも、楽器をいじって好きなように音を組み合わせたものを録音して、「自分の曲ができた!」と思えれば、それが作曲です。

それで作曲の欲求がおさまれば終わりですが、大抵の場合はここで終われるほど、音楽はつまらなくありません。

「作曲したい」という気持ちは、多くの場合、「音楽」という世界をより高度なレベルで楽しみたいという欲求だと思われます。「楽器演奏」や「歌」などの具体的なことよりも、一段視点の高い概念ですので、ただ「コードやメロディを書く」という厳密な定義上の行為のみを満たして満足する、というよりは、きちんと「自分で楽曲をつくった」というファクトを現実世界にアピールできてこそ、「作曲した」という欲求に応えたことになると思います。

ですから、「作曲したい」「音楽ってどうやってつくるの」という質問に答えるのは簡単ではないのです。大抵の場合、「コードとメロデイを書けばいいのよ」では満足させられません。ある人の「作曲願望」を叶えてあげることは、そのほかの多くの表現欲求を叶えてあげるのと同じく、一筋縄ではいかないのです。このことはもちろん、自分自身の「表現欲求」についても、同じことが言えます。

より包括的な視点で見た場合、「音楽をつくりたいのよ」という人に対して「音楽はこうやればできますよ」という世界観を示すときは、よりスペシフィックな知識と技術の話が避けられません。

ここでその例を示してみます。

「コードとメロディを書く」以上の領域は、ただ感覚的に楽器遊びしていればできるほど簡単でもないのが事実です。それは「音楽」という世界をより高度な遊び方で楽しむことであり、それなりのパワーとエネルギーを要します。

「作曲」という行為自体は、比較的手軽にできることは述べました。

それから先は、きっとこのような問いが生まれてくるはずです。

「もっとかっこよい曲をつくるにはどうすればいいのだろうか」

「よりよいクオリティの音源をつくるにはどうすればよいのだろうか」

「人に聴いてもらいたい。そのためにはどうすればよいのだろうか」

このような要求を満たすための具体的な行程は次の通りです。

個人が「音楽をつくりたい」と思ったとき、作品が完成して人に聴いてもらうまでの(まじめな)プロセス

1.作曲する(コード、メロディを書く)

2.DTMソフトを使い、録音、打ち込み、アレンジをする

3.ミキシングする

4.マスタリング、音質チェックをする

5.曲を人に聴かせる(ネット配信、ライヴなど)

これが、けっこうまじめに「音楽をつくる」場合のプロセスです。

ここまでやれば、最終的に人に聴いてもらうだけでなく、作品として一定のクオリティをもった音源が、ネット上のアドレスににファクトとして残り、「作曲している」という実感が心に深く刻まれます。この体験は、2-4の行程をすっ飛ばしていきなり曲を人に聴かせるよりも、はるかに「自分は作曲している」というリアリティが強くなり、その後も作曲活動をライフワークにしていく可能性が高くなります。

もちろん、1の次にいきなり5に飛ぶのは、普通です。むしろ、このようなまじめなプロセスを経てまで「音楽をつくりたい」というモチベーションが維持される人の方が、はるかに少ないでしょう。しかし、そのような人々は確実に存在しており、いつでも、どうすれば自分で音楽を生み出すことができるのか、技術的な問題と常に格闘しながら、いつも悩み続けているのです。

そういう人たちが「音楽をつくる」という行為をより日常的に楽しめるための知識は、やはりまだ親切にアクセス可能な状態ではなく、それぞれがカオスの中から拾い集めろや!という状況です。そういう状態をなるべく緩和していくために、知恵を解放していこうというのが、「おとやガイド」の試みのひとつでもあります。

個人個人が文章作品をつくるのtと同じように、音楽作品をつくるような流れがもっと浸透すれば、将来的に大きな文化的資産を形成していくのはないかと思います。各地にちいさな「おとや」が増えることで、よりネイティブな音楽文化があちらこちらで生まれるとよい思います。

もしあながた「音楽をつくりたい」と思ったとき、最終的に自分の作品をファクトとして残し、人に聴いてもらいたいという欲求まで満たすのならば、まずは上記の1-5のようなプロセスが必要になってくること、それぞれに対して必要な知識と技術があること、を知っておくのがよいと思います。それが、音楽表現をしたいと思ったときのはじめの一歩だと思います(あくまでまじめな話です。遊びの録音やデモ音源のみをゲリラ的に発表していく場合、音源はつくらずに刹那的にライブのみを楽しむ場合はのぞきます)。

 


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