楽器演奏のプラトーを超えるには


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日々、楽器演奏を練習していて気づくことがありますので、大事だと思ったことをまとめます。あまりほかには書いてないようなことなので、練習者の立場から参考になる部分があると思います。

まず前提として、自分の楽器演奏の目的は、作曲の上達のためです。作曲、音源制作が専門であるので、楽器演奏をすることで音楽に対する理解を深め、より良い曲作りのアイデアを得ることを目的としています。ですので、楽器演奏が専門の方とは少し視点が異なると予想されることを、先に述べておきます。

とはいえ、作曲の上達と音楽の理解のために楽器演奏を練習しているという方はもちろんですが、演奏を専門にやっている方、またやりたいと思っている方にも有益な情報があると思われますので、少し長いですが公開してみます。佐久間正英さんが死の直前に著した、

この本の楽器練習の項に書かれていることともリンクする内容ですので、参考になると思われます。

では本題。楽器演奏がうまいというのはどういうことなのか。それは、ただ指がお手本どおりに動くということではありません

まず、運指を覚えること自体は難しいことではないです。ゆっくり確実に一音ずつ譜面を追っていけば必ず覚えられるし、曲に合わせて指がついていくようにはなります。

次に、しっかり音を出すこと。これもテンポを下げて、十分な音量が出る速さからゆっくりやっていき、できるようになったら徐々にテンポを上げていくやり方で、一音ずつ確実にやっていっても、ある程度時間をかけるだけで、やがてできるようになります。

つまり、途中であきらめさえしなければ、譜面どうりに弾くようになるまでは、楽譜に書かれてていることや講師が言っていること、演奏動画をひととおり真似することなどの、意識化できる外部情報を集めるだけで何とかできるようになるのです。とりあえずがむしゃらに量を強制的にこなすだけでも何とかなる。

問題は次から。全体的にコピーはできているにもかかわらず、原曲のテンポで、原曲と同じダイナミクスで、目指す奏者または音源と同程度の音量と音質で弾けるようになるまでには、なかなか思うようにいきません。

なぜなら、そこから先の上達に必要な情報は、意識化することが難しいからです。

ある程度まで弾けるようになるレベルまでくると、それ以上どうしてもうまく弾くことのできないポイントが出てくるでしょう。どうしても原曲のテンポについていけなかったり、セクション間の移行がスムーズにいかずにつまづいたり、音量が弱くなったりする。毎回、何度弾いてもそうなってしまうという、苦手なポイントが見えてきます。

練習量がそこまで達したら、そこから先は闇雲に量を練習してもうまくいかないと思います。

弾けないのは才能がないからでもないし、手が小さいからでもないし、ましてや練習量がや努力が足りないからではない

曲をとおしてだいたい弾けるようになっているならば、すでに最低限必要な練習量、情報量は足りているはずです。

そこから先は量ではない。頭と体の使い方にかかっているのです。

だから少し楽器を置いて考える必要があるのです。

そこから先の壁を超えるには、身体の使い方、筋肉の使い方、演奏中の意識の向け方など、奏者の思考の奥に潜む、少し抽象性の高い情報までをコピーする必要があるのです。

うまく弾けない部分には盲点があります。何が盲点になっているのかを知り、それが見えるようにしっかり意識化してから練習することが大切なのです。

うまく弾けないポイントが見えてくるようになるレベルまで練習が必要なのは大前提だから、まずはそこまで達したことを素直に喜びましょう。全体像をとらえ譜面どおりに弾くこと自体はできているならば、最初の大きな壁は超えています。そこを突破していなければ、この先の話は意味がありません。

どこに盲点があるかわからなければ上達のしようがないからです。盲点があることを認識できるようになった時点で、すでに大きな成長です。

では、盲点の外し方です。それには、理想の演奏イメージを徹底的にリアルにすることです。

この、徹底的にリアルにするというのは、半端な情報量ではありません。譜面情報はもちろんのこと、筋肉の使い方、指の当て方、指使い、動かし方、どのタイミングでどの位置にどの指を動かすか、使っていない指をどこに添えるか、筋肉の力加減はいくらか、その他まばたきする箇所、息遣い、唾液の量、爪の長さ、腰の位置、重心、楽器の位置の微妙なずらし方、湿度など、理想の演奏に必要なありとあらゆる情報をできるかぎり詳細に洗い出し、そのすべてを無意識に制御できるようになり、身体と脳の全体で音を出すようにすることです。

理想の奏者がいるなら、対象をしつこく細かく観察し、あらん限りの肉体情報を分析します。その人が何を考えているのか、どういう人物なのか、その人がオリジナルならどういう思いを込めてその曲を書いたのか、などの、身体情報を超えた抽象的な情報も調べ尽くします。

ポイントは、イメージと、身体の使い方と、圧倒的な情報量を集めた先に見える、楽曲演奏が提示する抽象的な音楽世界の身体性を持った理解です。

長いこと弾けなかったフレーズが、ある先輩や指導者のたった一言のアドバイスでいきなり弾けるようになった、というエピソードをよくききます。それは、その先輩なり指導者が、自分より圧倒的に多い演奏情報を記憶しており、圧倒的に高い視点を持っているため、自分の練習の盲点になっているポイントが見えるからです。

うまい指導者というのは、このように練習者の盲点に気付き、それを外すのが上手なのです。逆に、「なんでそんなのも弾けんのだクズが、死ね」などとのたまう指導者は、教えるのが下手ということです。

楽譜は音の動きのみを記録した外面情報に過ぎないから、それだけ追っていても本当に弾けるようにはならないのは当然。うまく演奏するには、うまく演奏している人間の身体の中、思考の中からコピーする必要があります。

具体的なやり方は、まず理想の音を徹底的に聴き、動画もあるならば徹底的に観察する。そして、その音を自分の身体演奏が出しているという姿を徹底的にイメージし、深めていく。瞑想のような感じです。

ここでまだ楽器は弾きません。頭の中でイメージだけで弾きます。イメージ弾きの大切さは、前述の佐久間さんの本にも書かれています。

徹底的にリアルなイメージができたら、次に楽器を手に取り、テンポを下げてゆっくりと確実に音を出してみる。イメージどおりの音で確実に演奏できるテンポまで落として、焦らずゆっくり弾いていく。

そして、苦手な部分、イメージとは違う音がでてしまう部分、つまづいてしまう部分に来たら、そこで一時停止して、集中して身体の使い方を観察する。

その部分の身体の使い方が、理想の奏者とどう違うのかを見極める。どうすればその人と同じような音が出るのか、身体の動き、筋肉の動きを細かく微調整して、丁寧に辛抱強く、試行錯誤して身体を細かく動かしていき、理想の音を探っていく。理想の演奏イメージとの差を埋めていくことで、盲点を外していくのです。

そして、うまく演奏できる身体の使い方、納得できる調整点を発見したら、そこが盲点だった場所です。そこをうまく弾けるときの身体感覚を忘れないように何度も反復する。遅いテンポでゆっくり確実に弾けるようになってから、少しずつ原曲のテンポに近づけていく。

結局、身体というのは脳の命令で動いているのだから、脳の使い方をチューニングすれば、必ず弾けるようになるはずです。本当に正しい弾き方をイメージできるようになれば、後からその演奏イメージの再現に必要な筋肉の使い方を、身体が慌てて補ってくれます。

最初は、楽譜やアドバイスなどの外部情報からの積み上げでも構わない。だが、そこからの上達は、理想の演奏をどれだけ正確に脳がイメージできるようになるかにかかっています。そのイメージというゴールが先にあるから、足りない部分や必要な練習方法、身体の使い方などが徐々に見えてくるようになるわけです。

ある程度まで練習したら、急に伸びなくというポイント。つまりプラトー。そこを超えれば大きく成長できるというのは有名な話で、誰もが知っていることです。

だが、そこをどうやって超えるのかという仕組みまではよく教えてくれないように思います。停滞期なのだから辛抱強く耐え続けろ、その先にきっと素晴らしい結果が待っているから、がんばってくれや!というような何ともアッチョンブリケな具合です。

しかし冷静に考えればこういうことではないかと思います。音楽的抽象度の低い外面情報、つまりお手本のファッションの猿まねでそれらしくなんとかなる段階を超えてしまったら、次はいよいよ師匠の内面や思考という、無意識に保存された、抽象性の高い部分までトレースしていかなければ、永遠に猿まねで終わるということです。

理論や講師の言葉という言語化されたレベルをマスターするのはもちろん大前提です。しかしそこから先の領域は、言語化できない領域であり、教えることができません。理想の奏者が、脳のどの神経回路を使い、どれくらいの電流量でどこの筋肉をどのくらい動かして弾いているのか、なんて情報は、本人だって教えようがありません。学習者側が積極的に脳を使って、徹底的に観察して、イメージして、言語を超えた、譜面情報と身体情報を包摂した音楽的世界を高いレベルでコピーしていくということまでやっていって、真の上達がある。それをあきらめずに続けていけば、必ず奥義を掴めるはずです。

奥義は言葉ではありません。奥義は命であり、生命活動の秘訣であり、無意識の世界の秘密。だから奥義というわけです。

そこにたどりつくまでには、それ以前の情報を網羅してマスターしていなければ話になりません。

もしどうしてもいくらやっても上達が見えてこないならば、そもそも前提となる基礎情報や基礎訓練がすっぽり抜け落ちている可能性があるから、いったん戻って足りない情報を見極め、それをマスターしてから再挑戦するのです。決して、分数や掛け算がわからないまま、微分や積分が理解できるようにはならないのです。

つまりプラトーから抜け出せなくなったときは、その状態を無理に続けてがむしゃらに背伸びをし続けるのではなく、実は学習のレベルを少し落として、成長のために必要な基礎がきちんと見についているかどうかを確かめる必要があるということです。ここを勘違いして、プライドのために自己観察を拒否してしまうか、冷静になって自分の能力を見つめることができるかどうかが分かれ目となるのでしょう。

自分の能力の限界から目をそらしてはなりません。そこを勘違いしてはならないのです。理想のゴールは高く、でも今の自分から目を背けてはならない。そこをきちんと認めたうえで、しっかり成長を目指していくのです。

この見方は視点を高くすることで可能になります。高い視点から自分を俯瞰してみることができれば、どの道が光っているのかを感じられる。

気を付けないといけないのは、学習のレベルを落として戻るといっても、何も一からわかりきっているところまで総ざらいするといことではないということ。どんな分野の専門家だって、どこかに知識の不足はある。高校生からもどって学習している時間はないです。

そうではなく、自分の成長のブレーキになっているポイント、つまり盲点を、理想のイメージ側の高い視点から見つめることにより発見し、そこを集中的に補っていくということです。

そうやって必要な部分だけを補っていけば、どこかに不足があったとしても、とりあえず前進していくことができる。それでいいのです。完璧な人間などはいません。新たな問題のたびに、新たに見えた弱点を補っていき、少しずつ成長していくのでしょう。すべてを完璧にできるようになるまで待ってから活動しようと思っていたら、すぐに人生は終わってしまいます。

できる人間や成果を出す人間はこの成長の仕方がうまいのでしょう。パフォーマンス高いイメージを描き、その視点から今の自分を俯瞰し、必要なポイントを効率よく集中的に高めることにより結果を出していくのです。

人間のデフォルトの能力はそんなに違いはないはずです。こういう視点を持ってやることで、落ち着いて練習に取り組めるのではないでしょうか。

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